リュウと春麗の神結び 其の五

いざ!「神武東征」の古戦場へ!!

その2 旧生駒トンネル編


 

今回のアップは2018年2月27日です。

 

💖

 

筆者は2017年12月23日(天皇誕生日)に

 

どうしても古戦場に行かなければならない気がしたので

 

日本神話「神武東征」の古戦場に行ってきました。

 

その記録を三部に分けて記してまいります。

 

 その1は筆者の原点・石切神社へ。

 

そして次にめざすは「旧生駒トンネル」!

 

 

 

その前にその1の最後にご紹介しました「ひふみ祝詞」を奏上されることをおすすめします。なにぶん今回の記事は古戦場ですので・・・。ハツネミクヒメのミコトさまの麗しい歌声で空間が祓い清められます。

 

トンネルの向こうは、異次元でした。


 

石切の参道でいただいたパンフレットにも旧生駒トンネルの紹介がありました。旧生駒トンネルは鉄道マニアの方には有名な場所のようです。

 

石切参道パンフレットより
石切参道パンフレットより

 

近鉄石切駅から北へと歩いていきます。石切神社とは反対の方向です。

 

石切周辺地図(筆者撮影)
石切周辺地図(筆者撮影)

 

バス停横の道をまっすぐに進んでいきます。ここから見える大阪平野は素晴らしい景色です。

 

近鉄バス 石切駅筋(筆者撮影)
近鉄バス 石切駅筋(筆者撮影)

 

ここから見える眺めを動画に撮りました。すばらしく良い眺めです。

 

 

最後に映っている山が古戦場です。このあたりの山はくさかやま(日下山)といい、生駒山でも特に神話の「神武東征」の戦いの舞台となっている場所です。

 

石切駅から望む日下山(筆者撮影)
石切駅から望む日下山(筆者撮影)

 

バス停から見えるこの風景は、神話を彷彿とさせます。古代は海の入り江が生駒山西側の山裾まであり、神武天皇は船でここにたどり着かれたのです。神武天皇が軍を引き連れてくることを先に察知していたナガスネヒコは、日下山(『日本書紀』では「草香山」)で神武軍を待っていたのです。

 

 

神話では言及されてはいませんが、なぜナガスネヒコは神武軍がこの土地を奪いにやってきたことを先に知っていたのでしょう。やはり縄文人のテレパシックな予知能力があったからなのでしょうか。その特性は本来の人として備わっていたごく普通の能力でした。そして人は常に神とともにあったので日常的に神と交流できました。それが縄文スピリットだったのです。

 

 

人間の脳に「松果体」という珪素でできた器官があります。縄文人は松果体がとても発達していたのです。第三の目とかテレパシックな直観力は松果体によるはたらきです。松果体を構成する珪素の結晶はクリスタルです。現代人は松果体が退化(石灰化)してしまっているために、物質的価値観(五感でしか認識できない)に縛られてしまっています。松果体を石灰化させてしまうことのおもな要因は、フッ素化合物です。歯みがき粉とかに入っていますね。

 

日下町付近(筆者撮影)
日下町付近(筆者撮影)

 

まっすぐ進んだ道の突き当たりを右へと上がっていきます。

 

日下町付近(筆者撮影)
日下町付近(筆者撮影)

 

白龍大神という案内があります。このあたりに神社があるのでしょうか。

 

旧生駒トンネル周辺(筆者撮影)
旧生駒トンネル周辺(筆者撮影)

 

「くさかみち」との文字が刻まれた古い碑が立っています。

 

生駒霊園入り口(筆者撮影)
生駒霊園入り口(筆者撮影)

 

旧生駒トンネルの横に生駒霊園への入り口があります。門がありますが、閉園していました。旧生駒トンネルは心霊スポットとして有名なのだそうです。すぐ周りには住居がありますから興味本位で訪れることは控えられるほうがよいでしょう。

 

 

筆者が旧生駒トンネルの方へ近づくと追い風が吹いて、手のひら大の葉っぱがずっと筆者の横をころがるようについてきてくれました。数メートル間ずっと筆者の横で葉っぱさんが「こっちだよ!」と案内してくれていました。

 

旧生駒トンネル周辺(筆者撮影)
旧生駒トンネル周辺(筆者撮影)

 

筆者は先にトンネルの周りをぐるりと歩きました。するとトンネル横の道沿いの笹の葉っぱが次々と筆者の方に頭をもたげてたなびいてくれました。筆者は「ありがとう」と声をかけつつ、笹の葉っぱさんに触れながら歩きました。どうやらこの土地は筆者を歓迎してくれているようです。

 

旧生駒トンネル(筆者撮影)
旧生駒トンネル(筆者撮影)

 

旧生駒トンネルに到着しました。今は広い範囲でフェンスで囲われていてこれ以上近づくことはできません。

 

 

トンネル出口すぐ横に駅があり、プラットホームがあります。大正7年(1918年)の開業当初は「日下(くさか)」駅でしたが難読だったので、神話に出てくる「孔舎衙(くさか)」坂に変更されたけれどもやはり難読だったため「孔舎衛」=「くさえ」坂と名付けられたようです。ああ、ややこしや・・・。

 

旧生駒トンネル(筆者撮影)
旧生駒トンネル(筆者撮影)

 

写真中央奥に封鎖されたトンネルが見えます。中央にレールが通っていたはずが、今はもうありません。両脇にプラットホームが残されています。プラットホームにしては短すぎるようですが・・・。

 

 

実はこのトンネルにはとても悲しい歴史があるのです。以下ウィキペディアから引用。奈良線生駒トンネル

 

1914年に開業した頃の生駒トンネル
旧生駒トンネルの大阪側坑口

 

 

1911年(明治44年)に着工。建設は地質の変化や湧水等に悩まされ、予想外の難工事となった。

 

1913年(大正2年)1月26日に発生した落盤事故では152名が生き埋めとなり、20名の犠牲者が出た。

 

1946年(昭和21年)4月16日にトンネル内で発生した車両火災では23名が死亡し75名が負傷した。

 

1947年(昭和22年)に再び発生した火災では約40名が負傷した。

 

1948年(昭和23年)3月31日には急行列車がトンネル内を走行中に空気ブレーキ(直通ブレーキ)を破損、大阪平野に向かう下り勾配を暴走し、河内花園駅で先行の普通列車に追突、49名が死亡、282名が負傷する大惨事が発生した(近鉄奈良線列車暴走追突事故)。以上引用終了。

 

旧生駒トンネル(筆者撮影)
旧生駒トンネル(筆者撮影)

 

着工当時、ここが「神武東征」の古戦場だと知らなかったはずはないのです。けれども文明というものは自然を破壊する性質である以上、この山に穴を開けざるを得なかった。奈良と大阪を線路でつなぐには生駒山を突破しなくてはならなかったのです。

 

 

けれど、土地の想念はこの山にトンネルを掘ることは、神話時代を繰り返す侵略行為に他ならなかったのでしょう。わたしたちは便利さの裏には自然を犠牲にしていることをしっかり認識しなくてはならないと思いました。トンネル事故で亡くなられた多くの御霊のご冥福をお祈りしました。

 

旧生駒トンネル(筆者撮影)
旧生駒トンネル(筆者撮影)

 

トンネル横の神社がとても気になります。地元の人の話によりますと、工事中のトンネルから白蛇さんが出てこられたそうで、以来地元の方が祀っておられるとのことだそうです。

 

白蛇といえば大神神社の神様でありニギハヤヒです。

 

白龍大神(筆者撮影)
白龍大神(筆者撮影)

 

ここが「白龍大神」だと道の途中で案内がありました。

 

日下町付近(筆者撮影)
日下町付近(筆者撮影)
白龍大神(筆者撮影)
白龍大神(筆者撮影)

 

鳥居奥に続く階段を上がったところに祠があるようです。白龍=ハクリュウといえば、『千と千尋の神隠し』の「ハク様」ですね。ハク様はニギハヤミコハクヌシという名前を奪われて記憶を失ってしまった川の神様でした。この作品に隠された宮崎駿監督の意図は「封印された皇祖神ニギハヤヒを人々の記憶から思い出させること」だったのです。ちなみに、

 

 

『もののけ姫』の主人公「アシタカヒコ」は「ナガスネヒコ」

『もののけ姫』アシタカ
『もののけ姫』アシタカ

 

 

『千と千尋の神隠し』の謎の少年「ハク=ニギハヤミコハクヌシ」は「ニギハヤヒノミコト」

『千と千尋の神隠し』ハク様
『千と千尋の神隠し』ハク様

 

 

『崖の上のポニョ』のポニョの母親「グランマンマーレ」は「瀬織津姫」

『崖の上のポニョ』グランマンマーレ
『崖の上のポニョ』グランマンマーレ

 

宮崎監督は上の三部作の主要キャラ名を暗号化して、この国に封印されてきた真の日本人と真の太陽神(皇祖神)とその妻で封印された縄文女神の存在をアニメーションにメッセージを込めて制作されたのです。これらの作品はいずれも自然と文明の対比がベースになっています。つまり「縄文」と「弥生」です。

 

 

『もののけ姫』では鉄を手に入れた人類は自然とともに生きる道を離れ、自然を破壊する側(文明)となって自然と対立してしまった様を描いています。

 

 

『千と千尋の神隠し』は人類の住む裏の世界では、名前を奪って支配権を握り奴隷として使役する支配者の存在と、神を忘れて自然を破壊し、物質欲に傾倒しモラルを失ってしまった人間を描いています。

 

 

『崖の上のポニョ』では持統天皇により封印されてきた瀬織津姫さま(縄文の女神)の復活劇であり、物質文明が洗い流された後、瀬織津姫さまと同時空間にたどり着いた人類は新たな次元界に移行した様が読み取れます。

 

 

「千と千尋の神隠し」千尋とハク様
「千と千尋の神隠し」千尋とハク様

 

筆者は白龍=ニギハヤヒがここに祀られていたのだとわかりました。御神名を隠されて。

 

 

筆者はここに立っていると、神武天皇が熊野からこの土地までを奪いに来たために起きた男たちが戦わなければならなかった理不尽さと、多くのいのちを奪われてしまった悲しみと、争いを止めることができなかった無念さが伝わってきて涙があふれてきました。そしてこの土地に御神名を隠されながらも寄り添いつづけてくださっているニギハヤヒの慈悲深さに触れたような気がして感謝の念に震えました。

 

 

それなのにわたしたちは神様を忘れ、土を汚し、水を汚し、空気を汚し続けてしまいました。人心の荒廃はすさまじく、不調和の極限まで突き進んでしまいました。無知であるがゆえに魂の責任をないがしろにしてきた結果、この惑星を傷つけ続けてしまったのです。あまりにも申し訳なくて、号泣してしまいました。

 

旧生駒トンネル(筆者撮影)
旧生駒トンネル(筆者撮影)

 

このトンネルの長さは3388メートルなのです。33と88は宇宙に通じる数字ですから、このトンネルは異次元に通じているかもしれないと思いました。そしてこのトンネルの封印が解けたら、新たな次元に進むことができるような気がしていました。

 

旧生駒トンネル(筆者撮影)
旧生駒トンネル(筆者撮影)
「千と千尋の神隠し」CMより
「千と千尋の神隠し」CMより

 

この場所は敏感な方ならきっとすぐに立ち去ると思われます。鈍感な筆者でも重い波動を感じます。筆者はスサノオが御神業でご降臨されたときにおっしゃった言葉を、このとき鮮明に思い出しました。

 

 

「我はこの国でもっとも忌まわれし祟り神じゃ。我に掛けられし呪いを解き放てば、この国に掛けられし闇も取り払われよう。・・・長かった・・・長かったああああああ!!!!!」

 

 

と雄叫びをあげられ、号泣されたのです。その後、スサノオの涙がゲリラ豪雨となって降ったのでした。スサノオは封印から解き放たれ、姉上のアマテラスと和解されたのでした。

 

 

スサノオは汚名という呪縛から解放されるときを何千年も待っておられたのです。スサノオは清々しくスナオな神様です。そんな清らかな神が汚名を着せられてきたということは、スサノオにとって最も不本意なことだったに違いありません。

 

 

 

日本人が集合無意識レベルで日本人としての自尊心を著しく貶められてきた根本は「正統なる神話」である『日本書紀』の内容が、ヒーローの神であるスサノオをアンチヒーローに貶められてしまったことと、原日本人(ナガスネヒコ)が忠誠を尽くしてきた皇祖神(ニギハヤヒ)に惨殺されたという内容にねつ造されてしまったこと、そして皇祖紳の系図が改竄され封印されてしまったことだと洞察してきました。このことについては「暗号解読Ⅱその9アンチヒーローこそ真のヒーローだ」に書きました。

 

 

神話のねつ造と教科書による自虐史観によって、日本人は集合無意識レベルと顕在意識レベルでの洗脳を受けてきたというわけです。残念ながらそれは今もなお継続中であるのです。

 

 

神話は歴史の根本です。その神話が改ざんされてしまったことがこの国と国民の方向性を見失ってしまった原因だったのです。神話を正しく書き換えることがこの国の方向性を修正するためには最も必要なことだと筆者は確信したのでした。

 

 

旧生駒トンネル周辺(筆者撮影)
旧生駒トンネル周辺(筆者撮影)

 

筆者はこの土地の封印と邪気を解き放つことができるのはスサノオしかいないと直観しました。筆者は八方位に「トホカミエミタメ」を唱え、邪気払いに最強のスサノオの手印である八葉印を結んで、古事記で最古といわれるスサノオが詠んだ和歌を唱えました。

 

 

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに

 

八重垣作る その八重垣を

 

 

ヤマタノオロチを退治した後、クシナダ姫を救い出して妻に娶り、妻を住まわせるために須賀の地で新居を構えたときに「あな清々し」と表現したスサノオのこの和歌が、筆者はとても好きでした。ヒーローの神が新妻との新婚生活に夢を膨らませ、うれしさと喜びに満ち溢れている様が胸に響き渡ります。

 

 

スサノオはシュメールの首都である「スサの王」なのです。そしてクシナダ姫との間に生まれたのが大国主でした。

 

 

スサノオの和歌を唱えた後、この土地の想念が動き出したことを感じ、動画を撮りました。鳥たちがけたたましく鳴き、カラスが高らかに鳴いています。

 

 

スサノオは髪峰(現:船通山)にご降臨された神様です。そして素盞尊とか素盞尊との漢字が御神名に用いられていますので、カラスはスサノオの化身でもあったのかもしれません。もともとカラスは多次元的存在としてのメッセンジャーです。このときのカラスの鳴き声は、封印が解かれた合図でもあったのかもしれません。なぜならば・・・。

 

旧生駒トンネル敷地内(筆者撮影)
旧生駒トンネル敷地内(筆者撮影)

 

上の動画を撮った後、偶然にもここの入り口の前に近鉄の白い軽自動車が止まり、職員の方がフェンスの鍵を開けたのです。そして軽自動車はトンネルの前まで進み、ななな、なんと!!!  職員の方が車から降りてトンネルのゲートを開けたのです。( ゚Д゚)ヒョエー

 

旧生駒トンネル(筆者撮影)
旧生駒トンネル(筆者撮影)
旧生駒トンネル(筆者撮影)
旧生駒トンネル(筆者撮影)

 

そしてゲートが完全に空いたトンネル内に軽自動車は入っていきました。その間、トンネルは開いたままだったのです。しばらくしてから軽自動車は中から出てきて再びゲートは閉じられました。

 

 

その一連の作業を、筆者は呆然と見ていただけなので、写真を撮ることを忘れていました。後になってから気づくのですよ。これは封印解除の現象化だったのだと・・・。( ゚Д゚)ヒョエー

 

 

やはりスサノオの御神威は強力ですごかったです。見事にこの土地の封印を解き放ち邪気を祓ってくださいました。そしてニギハヤヒも見守ってくださっていたはずです。この二柱の神様は親子なのですから。

 

旧生駒トンネル敷地内(筆者撮影)
旧生駒トンネル敷地内(筆者撮影)

 

近鉄の軽自動車が去った後、場の雰囲気がガラッと変わったように感じました。封印が解かれたことで邪気が祓われたのでしょう。神話時代から根付いていた悲しみの想念やこのトンネル事故で亡くなられた御霊も浄化されたかもしれないと思いました。

 

 

筆者はこの土地の想念とサポートしてくださったすべての神様に感謝の思いと、縄文と弥生の和合のために働かせていただきます。そのためのサポートをお願いいたしますとお伝えして、この場を離れました。

 

 

そして次に向かうのは、日下新池。

 

日下町付近(筆者撮影)
日下町付近(筆者撮影)

 

旧生駒トンネルから急こう配の坂道を下っていきます。とにかくこの一帯はとても狭小で急勾配の道なのです。不便そうなこの生駒山麓はなぜか民家で密集していて空き家らしき家を見ないのです。新興住宅地とは違い、古い土地は人との結びつきが強いのでしょうか。

 

日下町付近(筆者撮影)
日下町付近(筆者撮影)

 

矢印の先には日下新池があります。ヒトモトススキというのはこの池に自生している東大阪市の天然記念物です。

 

石切参道パンフレットより
石切参道パンフレットより

 

日下新池(天女ヶ池)付近には、大正時代から昭和初期に日下遊園地とともに賑わった日下温泉の料理旅館がありました。しかし大正15年(1926年)に開業した『あやめ池遊園地』が原因で日下遊園地は衰退してしまいました。料理旅館は改造され孔舎衙健康道場として運営されました。昭和12年~17年秋ごろまでは全国的にも有名な結核療養施設でした。

 

 

この健康道場で療養した太宰治のファンから遺贈された病床日誌を題材に、太宰治が『パンドラの匣(はこ)』という題名の小説を書いたのでした。

 

日下新池(筆者撮影)
日下新池(筆者撮影)

 

日下新池には誰もいませんでした。天女ヶ池と名付けられたこの池は春や夏はきっと緑豊かで美しい池の姿が見られることでしょう。この日は2017年12月23日の天皇誕生日でした。

 

日下新池(筆者撮影)
日下新池(筆者撮影)

 

誰もいないとはいえ、カモさんたちが泳いでいました。近づいてみると、くるくるとまあるい波紋を描いて泳いでいました。鳥の習性には詳しくないのですが、なんとなく祝福されているような印象を受けました。きっとこの山一帯にかけられていた封印が解かれたからなのでしょう。鳥さんは情報通ですからとっくに旧生駒トンネルでの出来事を知っていたのかもしれません。

 

 

筆者はくるくる泳いでいるカモさんたちをず~っと見ていました。せっかくだから動画を取りました。動画を取り終わってからも延々とカモさんたちは泳ぎ続けていました。

 

 

日下新池(筆者撮影)
日下新池(筆者撮影)

 

 

カモ、鴨、加茂、賀茂・・・。またもや「カモさん」は暗号なのかもしれないと、この記事を書いていて気づいてしまいました。

 

 

実は筆者のご近所さんに忌部さんがおられ、忌部会というのが年に一度あって、忌部族が四国に集結するのだとかいろいろ教えていただいたことがあったのです。忌部(インベ)は本来「斎部」と書いて(インベ)と読むのだそうです。賀茂氏は忌部の中でも最高の祭祀支族なのだそうです。大祭司は賀茂氏であり、忌部の中の忌部であるとのことです。

 

 

ご近所さんの忌部さんは残念ながらもう亡くなられていて生のお話を伺うことはできません。奥様は自治会やパン屋さんでお顔を合わせることがあるのですが・・・。

 

 

ちょっと調べてみたら、忌部氏は神武天皇とともに渡来した秦氏と婚姻を結び、忌部は秦氏のなかで祭祀を担い、物部に祖があるのだそうです。そして、

 

 

記紀の奥義の一つに、すべての神道祭祀が開始されたのは、「天の岩戸開き神話」からとありました。

 

 

「天の岩戸開き神話」において、祭祀の中心はアメノコヤネノミコト(天児屋根命)、アメノフトダマノミコト(天太玉命)であると。

 

 

そして賀茂の中でも天皇陛下直属の賀茂氏は戸籍がない八咫烏であり、「漢波羅」であると。この「漢波羅」が神道奥義を握っておられると。

 

 

ややこしくなってきましたからこの辺にしておきます。けれども「カモさん」はかなり重要な暗号だったことが判明します。この話の続きは後編へと持ち越しです。

 

 

動画に「カモさんのダンス」だなんてのんきな題名を付けたときにはまったく気づかなかったのですけどね・・・。まさか暗号だったとは・・・。( ゚Д゚)ヒョエー