リュウと春麗の神結び 其の七

すべては神仕組みだった!筆者と神様との答え合わせ


 

今回のアップは2018年4月2日です。

 

💖

 

 

これまで筆者の「直観ー実践行動ー体験」の結果を『暗号解読シリーズ』に書き記してまいりました。最初は「なぜかそんな気がする」のであって、ただ「気のせい」かもしれないことを実践行動してみれば、思いもよらない扉が開かれていったのです。

 

      

他の方からすれば「思い込み」でしょ? と突っ込まれて終わるところです。けれど、ここはもともとニッチなサイトだし、需要もそんなにないだろうと思ったので「まあ、素直に自分に従ってみるのもいいよね」と思った通りに書いていきました。

 

 

それがだんだんリアリティを伴う体験と出会い、そして「あのときの気のせいはそういうことだったのか!」と目が覚める思いで答えが示されていくのでした。

 

 

次第にこれって、やばいんじゃない!? 的な内容になっていきました。気のせいだと思っていたことは、実は表に出せないことだったのです。世間で通説とされる「テレビ新聞教科書偉い学者さんの学説」ではないので、異端あつかいされる類です。

 

 

とくに教科書は教育の根幹であり、歴史は国家の根幹です。国家を一つにするためには、歴史を国民に共通認識させる必要があるのです。そのために『古事記』『日本書紀』を「正統なる歴史書」に位置付ける必要があったのです。(国家を一つにしたのは誰デスか?)

 

 

けれども世界一古い日本には『古事記』『日本書紀』以外にも古史古伝が日本各地にあり、上古代と言われる時代の記録も多数あるのです。8世紀に書かれた『記紀』が正統なる日本の歴史(神話)であると断言することの方が危うい気がします。(8世紀の文献ということは既に弥生人にとっての歴史書なわけですね~)

 

 

しかし、わたしたちの文化は「教科書」がベースになっている以上、どんなに歴史的証拠、整合性があったとしても「教科書」を書き換えない限り、異端でしかないのです。つまり、タブーとされてブラックボックスに放り込まれるのがおちなのです。

 

 

歴史は国家の根幹であり、国家の根幹は神話です。その神話を正しく書き直すことにより、国の行き詰まりをコペルニクス的転換を果たすことができる。要するに、システムの転換です。

 

 

書いていてわかったことは、神は神話上では人格神ではありますが、「システム」だということです。人類はどの神(システム)に同調するかという自由意志が与えられているのです。それは自分がどのシステムに同調するかによって決まる。エゴ(自我)というシステム(神)に同調するのか、エヴァ(愛と調和)というシステム(神)に同調するのか。

 

 

すべては振動波ですので、その周波数に同調した次元にしか存在できないのです。人間的「情」は一切ありませんから「忖度」「斟酌」「情状酌量」は通用しません(笑)要するに「情」とはエゴだったのですな~。ゆえに「愛情」は「愛」ではないのです。m9( ゚д゚)ビシッ!!

 

 

現在の「戦いに勝ち抜いて勝者が敗者の支配権を掌握する奪い合いの消耗系」システムから、「戦わず和合(共存共栄)し愛と調和による与え合いの循環系」のシステムに移行したいと思うなら、自分自身がその振動波に同調しておかなくてはなりません。地球がエヴァの惑星へと振動波を上げているので、地球に住まう人類もエヴァに同調しておかなくてはならないのです。

 

 

宇宙はとても単純です。ただそれに気づいて実践行動すればいいだけなのです。「でも・・・」という人は、エゴに同調してしまっているのですよ!! 

 


 

これまでの『暗号解読シリーズ』から読み解いてきた日本神話の総まとめとして導き出せるのは、以下の通りです。

 

 

 

イザナミの死から生じた「生」と「死」の二極性

 

 

イザナギ・イザナミ夫婦の別離女性性の封印

 

 

スサノオの排除から始まる「伊勢」と「出雲」の対立

 

 

男神天照大神から女神の天照大神への皇祖神の交代

 

 

「神武東征」による縄文(精神)から弥生(物質)への文明の転換。

 

 

 

これらを読み解くと、本来の皇祖神の系図を改ざんした文書を我が国の「正統なる」歴史書と位置付けたことで、日本の集合意識は神話に書かれたとおりの二極化・対立・分離・排除という自我意識が構築されてしまい、偽りの神を信じこまされることで真実が見えなくなってしまったのです。そしてそれは人類への「プログラム」そのものだったのです。

 

 

文明の転換により、嫉妬・羨望・恐怖などの自我がこの国に持ち込まれてしまったために、日本人の意識に自我が芽生え、それが現象化されてしまった世界がこれまで続いてきた弥生文明だったということが日本に仕掛けられた「からくり」だったのでした。

 

 

その証拠に、我が国は「虚偽、隠蔽、改ざん、男尊女卑、乗っ取り、なりすまし」が横行する世の中が現象化して久しく、本物が封印され、偽物が表で堂々と振る舞う世の中になってしまいました。かつては神の国といわれた日本が著しく波動を落としてしまったのが今の日本の姿なのです。

 

  

そして日本(倭国)建国の始祖であるスサノオが「正統なる」神話上でアンチヒーローにされてしまったこと。そして皇祖神を封じられ、真の日本人が抹殺されたことにより、日本人の自尊心が傷つけられ、かつて神と人が共存共栄してきた記憶を失ってしまったのです。本来の日本人は太陽の民族の遺伝子を受け継いだ気高く誇り高い民族なのです。

                                         

ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」
ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」

真の日本人(ナガスネヒコ)の復活を果たすためには、スサノオの復権と真の皇祖神であるニギハヤヒ(天照大神の和魂)とその妻である瀬織津姫(天照大神の荒魂)の復活が必要だったのです。

 

 

そのためには、日本人だけに持たされた太陽の民の遺伝子(Yap遺伝子=縄文人。これを『日月神示』では「尊い身魂と、尊い血統」とある)を目覚めさせ、自我のない本来のピュアな日本魂を取り戻すことが何よりも重要であるということに気づかされたのでした。

 

 

日本魂は、創始の国である日本を神の国に引き上げる使命をもたされていたのです。けれどもほとんどの日本人が自分の役割を忘れ、記憶喪失になったまま現在に至ってしまいました。

 

 

だからと言って、この世界を批判し、裁き、被害者意識のままいては、いつまでたってもこの世界を変えることはできません。自分自身で自我に気づき、感謝に変換し、思い、言葉、行動をひとつひとつ謙虚にあらためることが何より先にやらなければならないことなのです。

 

 

他人を見るように自分を客観的に見て内的環境を整地する地道な作業を継続するのがコツなのです。なぜならば内的環境が外部ホログラムを映し出しているからです。このことを「自分が変われば周りが変わる」といいます。

 

 

 

筆者がこのコンテンツを書いていて強烈に感じたことは、この破壊的終末的な世界を変えるためには、神話(神の世界)を正しく書き直して、集合意識を根本から再構築することが必要だということでした。

 

 

 

個人の意識変換と、集合意識の変換。この両輪がそろってはじめて世界をひっくりかえすことができると気づかされたのです。人間界と神界は表裏一体だからです。

 

 

コーリン「百三十日の静寂の後、

 

火と水を等しく湛えた金髪の子が現れ、

 

真に慈悲ある民の願いに耳を貸すだろう」

 

「ストリートファイターⅤゼネラルストーリー」より

 

 

コーリン

「シャドルーは滅びました。ですが、ベガを討った者は・・・。」

 

ギル

文書の定めとは少々異なる結末。 悠久の時の中で起こりうる些細な誤りなのか、それとも・・・。

 

『ストリートファイターⅤゼネラルストーリー』には、古文書の改ざんを示唆するシーンがラストに描かれています。

 

 

ベガ様を討った者は、金髪の者ではなく日本人でした。ただし、本来の日本魂(やまとだましい)を取り戻した日本人、すなわち火と水の和合を果たしたリュウさんでした。

 

ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」
ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」

 

ラスボスは恐怖で人類を支配するベガ様から、宗教に依存させて魂を封じるギル様の存在が明るみになってゼネラルストーリーは終わります。人類は幾重もの支配のトラップが仕掛けられていることが見て取れます。

 

 

しかし、自我意識を統合意識に変換しさえすれば、トラップを見破ることで罠にかからなくなるのです。

 

ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」
ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」

 

目の玉は、意識エネルギーの出口です。目の玉を見れば、その人の魂の状態を即座に察知することができるのです。すなわち、目の玉だけはうそを隠すことはできないのです。

 

 

 

『ひふみ神示』にすべての答えがあった!


直観で得た情報を実践したあとに答えが示される。これは体験を重ねてわかった「しくみ」です。これまでの筆者が洞察した答えと体験の後にやはり答えが示されました。

 

 

それは「日月神示」(ひふみしんじ)に示されていました。『日月神示』はごく一部読んだことはありましたが、今回初めて全文を読んでみたのです。すると筆者が出した「答え」がそこにあったことに気づかされたのです。

 

日月神示
日月神示

  

『日月神示(ひつきしんじ)』とは神典研究家で画家でもあった岡本天明氏に「国常立尊」と呼ばれている高級神霊よる神示を自動書記によって記述したとされる文書です。

 

 

原書は漢字と漢数字とひらがなと記号などで書かれています。原書を日本語としてわかるようにしたものを『ひふみ神示』といいます。(詳細は「ひふみ神示データ」様へ)

 

 

『ひふみ神示』は暗号がいたるところにちりばめられており、普通に読んだだけでは本当の意味がわからないようになっているようです。

 


神示は八通りに読めるといいます。海の巻 第15帖 (507) にはこの様に書かれています。

 



「学や智や金がチラチラ出る様では、

 

マコトが磨けて居らんのぢゃ、


今の法律でも、

 

教育でも、

 

兵隊でも、

 

宗教でも、

 

この世は建直らんぞ、


新しき光が生れて世を救ふのぢゃ、


新しき光とはこの神示ぢゃ、

 

この神ぢゃ。


七つの花が八つに咲くぞ、


此の神示八通りに読めるのぢゃ、


七通りまでは


今の人民でも何とか判るなれど


八通り目は中々ぞ。


一厘が、

 

かくしてあるのぢゃ、


かくしたものは現はれるのぢゃ、

 

現はれてゐるのぢゃ。


何でもない事が中々のことぢゃ、

 

判りたか。」

 

 

 

 

神様から直接ご神示を下ろされたのは、世界で日本だけなのだそうです。その日本で下ろされたご神示のひとつが『ひふみ神示』なのです。神様の御心をどうかお感じになってみてください。そしてどれだけ日本人が神様に愛され守られてきたか、どんなに今の日本の姿を嘆き悲しんでおられるかを魂で感じてみてください。

 

 

『ひふみ神示』に度々出てくる「身魂みがき」とは、魂の掃除洗濯であり、自我に染まってしまった意識を統合意識に変換するということです。その手立ては「最終進化への道へ」等に書きました。

 

 

ここでは、筆者が導き出した答えに対応する『ひふみ神示』を抜粋して掲載させていただきました。

 

 

日月神示
日月神示

 

上つ巻 

 

第一帖(一)

 

 

 二二は晴れたり、日本晴れ。

  

神の国のまことの神の力をあらはす代となれる、

 

仏もキリストも何も彼もはっきり助けて


七六かしい御苦労のない代が来るから

 

みたまを不断に磨いて


一筋の誠を通して呉れよ。 

 

いま一苦労あるが、

 

この苦労は


身魂をみがいて居らぬと越せぬ、

 

この世初まって二度とない苦労である。 

 

このむすびは


神の力でないと何も出来ん、

 

人間の算盤では弾けんことぞ、

 

日本はお土があかる、

 

外国はお土がさかる。 

 

都の大洗濯、

 

鄙の大洗濯、

 

人のお洗濯。

 

今度は何うもこらへて呉れというところまで、

 

後へひかぬから、

 

その積りでかかって来い、

 

神の国の神の力を、

 

はっきりと見せてやる時が来た。

 

嬉しくて苦しむ者と、

 

苦しくて喜ぶ者と


出て来る⦿は神の国、

 

神の力でないと何んにも成就せん、

 

人の力で何が出来たか、

 

みな神がさしてゐるのざ、

 

いつでも神かかれる様に、

 

綺麗に洗濯して置いて呉れよ。

 

戦は今年中と言ってゐるが、

 

そんなちょこい戦ではない、

 

世界中の洗濯ざから、

 

いらぬものが無くなるまでは、

 

終らぬ道理が分らぬか。

  

臣民同士のいくさでない、

 

カミと神、

 

アカとあか、

 

ヒトと人、

 

ニクと肉、

 

タマと魂のいくさぞ。 

 

己の心を見よ、

 

戦が済んでいないであろ、

 

それで戦が済むと思うてゐるとは、

 

あきれたものぞ、

 

早く掃除せぬと間に合わん、

 

何より掃除が第一。 

 

さびしさは人のみかは、

 

神は幾万倍ぞ、

 

さびしさ越へて時を待つ。

 

加実が世界の王になる、

 

てんし様が神と分らん臣民ばかり、

 

口と心と行と、

 

三つ揃うたまことを


命(みこと)といふぞ。

 

神の臣民みな


命(みこと)になる身魂、

 

掃除身魂結構。


六月の十日、ひつくのかみ。

 

 


 

上つ巻 

 

第二帖 (二)

 

 

 親と子であるから、

 

臣民は可愛いから


旅の苦をさしてあるのに、

 

苦に負けて


よくもここまでおちぶれて仕まうたな。

 

鼠でも三日先のことを知るのに、

 

臣民は一寸先さへ分らぬほどに、

 

よう曇りなされたな、

 

それでも神の国の臣民、

 

天道人を殺さず

 

食べ物がなくなっても死にはせぬ、

 

ほんのしばらくぞ。

 

木の根でも食うて居れ。

 

闇のあとには夜明け来る。

 

 

神は見通しざから、

 

心配するな。

  

手柄は千倍万倍にして返すから、

 

人に知れたら帳引きとなるから、

 

人に知れんやうに、

 

人のため国のため働けよ、

 

それがまことの神の神民ぞ。

 

酒と煙草も勝手に作って暮らせる善き世になる、

 

それまで我慢出来ない臣民沢山ある。

 

早く ⦿(モト)の神の申す通りにせねば、

 

世界を泥の海にせねばならぬから、

 

早うモト⦿ 心になりて呉れよ、

 

神頼むぞよ。

  

盲が盲を手を引いて何処へ行く積りやら、

 

気のついた人から、

 

まことの神の入れものになりて呉れよ、

 

悪の楽しみは


先に行くほど苦しくなる、

 

神のやり方は


先に行くほどだんだんよくなるから、

 

初めは辛いなれど、

 

さきを楽しみに辛抱して呉れよ。

  

配給は配給、

 

統制は統制のやり方、

 

神のやり方は日の光、

 

臣民ばかりでなく、

 

草木も喜ぶやり方ぞ、

 

日の光は神のこころ、

 

稜威ぞ。

 

人の知恵で一つでも善き事したか、

 

何もかも出来損なひばかり、

 

にっちもさっちもならんことにしてゐて、

 

まだ気がつかん、

 

盲には困る困る。 

 

救はねばならず、

 

助かる臣民はなく、

 

泥海にするは易いなれど、

 

それでは元の神様にすまず、

 

これだけにこと分けて知らしてあるに、

 

きかねばまだまだ痛い目をみせねばならん。

 

冬の先が春とは限らんぞ。 

 

⦿の国を八つに切って殺す悪の計画、

 

⦿ の国にも外国の臣が居り、

 

外国にも神の子がゐる。

 

岩戸が明けたら一度に分かる。

 

六月の十日、書は、ひつくの神。

 

てんめ御苦労ぞ。

 

 


 

上つ巻 

 

第三帖 (三)

 

 

善言(よごと)は神、

 

なにも上下、

 

ひっくり返ってゐるから、

 

分らんから、

 

神の心になれば何事も分るから、

 

鏡を掃除して呉れよ。

 

今にこのおつげが

 

一二三(ヒフミ)ばかりになるから、

 

それまでに身魂をみがいて置かんと、

 

身魂の曇った人には

 

何ともよめんから、

 

早く神こころに返りて居りて呉れ、

 

何も一度に出て来る。

  

海が陸になり陸が海になる。

  

六月十一日の朝のお告げ、

 

みよみよみよひつくの神。

 

 


 

上つ巻 

 

第十八帖 (一八)

 

 

岩戸開く役と


岩戸しめる役とあるぞ。

 

一旦世界は言ふに言はれんことが出来るぞ、

 

シッカリ身魂みがいて置いて呉れよ、

 

身魂みがき第一ぞ。

 

この道開けて来ると、

 

世の中のえらい人が出て来るから、

 

どんなえらい人でも分らん神の道ざから、

 

よくこの神示読んで置いて


何んな事でも教へてやれよ、

 

何でも分らんこと無いやうに、

 

この神示で知らして置くから、

 

この神示よく読めと申すのぞ。

 

この道はスメラが道ざ、

 

すめるみ民の道ぞ。

  

みそぎせよ、

 

はらひせよ、

 

臣民 早くせねば間に合はんぞ。 

 

岩戸開くまでに、

 

まだ一苦労あるぞ、

 

この世はまだまだ悪くなるから、

 

神も仏もこの世には居らぬのざといふところまで、

 

とことんまで落ちて行くぞ。

 

九月に気をつけよ、

 

九月が大切の時ぞ。

 

臣民の心の鏡凹(くぼ)んでゐるから、

 

よきことわるく映り、

 

わるきことよく映るぞ。

  

今の上に立つ人、

 

一つも真の善い事致しては居らん、

 

これで世が治まると思ふてか、

 

あまりと申せばあまりぞ。 

 

神は今まで見て見んふりしてゐたが、

 

これからは厳しくどしどしと


神の道に照らして神の世に致すぞ、

 

その積りでゐて呉れよ。

 

神の申すこと、

 

ちっともちがはんぞ。

 

今の世に落ちてゐる臣民、

 

高い所へ土持ちばかり、

 

それで苦しんでゐるのざ。

 

早う身魂洗濯せよ、

 

何事もハッキリと映るぞ。

 

六月二十六日、ひつくのかみ。

 

 


 

上つ巻 

 

第二十一帖 (二一)

 


世の元の大神(かみ)の仕組といふものは、

 

神々にも分らん仕組であるぞ、

 

この仕組 分りてはならず分らねばならず、

 

なかなかに六ヶ敷い仕組であるぞ、

 

知らしてやりたいなれど、

 

知らしてならん仕組ぞ。

 

外国がいくら攻めて来るとも、

 

世界の神々がいくら寄せて来るとも、

 

ぎりぎりになりたら神の元の神の神力出し

 

岩戸開いて


一つの王で治める神の


まことの世に致すのであるから、

 

神は心配ないなれど、

 

ついて来れる臣民少ないから、

 

早う掃除して呉れと申すのぞ、

 

掃除すれば何事も、

 

ハッキリと映りて


楽なことになるから、

 

早う神の申すやうして呉れよ。

 

今度はとことはに変らぬ世に致すのざから、

 

世の元の大神でないと分らん仕組ざ。

 

洗濯できた臣民から


手柄立てさして


うれしうれしの世に致すから、

 

神が臣民にお礼申すから、

 

一切ごもく捨てて、

 

早う神の申すこと聞いて呉れよ。

 

因縁の身魂は


何うしても改心せねばならんのざから、

 

早う改心せよ、

 

おそい改心なかなか六ヶ敷ぞ。

 

神は帳面につける様に


何事も見通しざから、

 

神の帳面間違ひないから、

 

神の申す通りに、

 

分らんことも


神の申す通りに従ひて呉れよ。

 

初めつらいなれど 


だんだん分りて来るから、

 

よく言うこと聞いて呉れよ、

 

外国から攻めて来て


日本の国丸つぶれといふところで、

 

元の神の神力出して世を建てるから、

 

臣民の心も同じぞ、

 

江戸も昔のやうになるぞ、

 

神の身体から息出来ぬ様にしてゐるが、

 

今に元のままにせなならんことになるぞ。

 

富士から三十里四里離れた所へ祀りて呉れよ、

 

富士にも祀りて呉れよ、

 

富士はいよいよ動くから、

 

それが済むまでは三十里離れた所へ、

 

仮に祀りて置いて呉れよ。

 

富士は神の山ざ、

 

いつ火を噴くか分らんぞ、

 

神は噴かん積りでも、

 

いよいよとなれば


噴かなならんことがあるから、

 

それまでは離れた所へ祀りて呉れよ、

 

神はかまはねど、

 

臣民の肉体大切なから、

 

肉体もなくてはならんから、

 

さうして祀りて呉れ。

 

まつりまつり結構。

 

 

六月の二十八日、ひつ九のか三。

 

 

伊勢神宮・外宮(筆者撮影)
伊勢神宮・外宮(筆者撮影)

 

上つ巻 

 

第二十七帖 (二七)

 


 何もかも


世の元から仕組みてあるから


神の申すところへ行けよ。

 

元の仕組は富士(二二)ぞ、

 

次の仕組はウシトラ三十里四里、

 

次の仕組の山に行きて開いて呉れよ、

 

今は分るまいが、

 

やがて結構なことになるのざから、

 

行きて神祀りて開いて呉れよ、

 

細かく知らしてやりたいなれど、

 

それでは臣民の手柄なくなるから、

 

臣民は子ざから、

 

子に手柄さして親から御礼申すぞ。

 

行けば何もかも善くなる様に、

 

昔からの仕組してあるから、

 

何事も物差しで測った様に行くぞ。

 

天地がうなるぞ、

 

上下引繰り返るぞ。

 

悪の仕組にみなの臣民


だまされてゐるが、

 

もう直ぐ目さめるぞ、

 

目さめたらたづねてござれ、

 

この神のもとへ来てきけば、

 

何でも分かる様に神示で知らしておくぞ。

 

秋立ちたら淋しくなるぞ、

 

淋しくなりたらたづねてござれ、

 

我(が)を張ってゐると、

 

いつまでも分らずに苦しむばかりぞ。

 

この神示も身魂により何んなにでも、

 

とれるやうに書いておくから、

 

取り違ひせんやうにして呉れ、

 

三柱と七柱揃うたら山に行けよ。

 

七月一日、ひつくのか三。

 

 


 

下つ巻 

 

第二十帖 (六二)

 

 

 上(うえ)、


中(なか)、


下(しも)の


三段に身魂をより分けてあるから、

 

神の世となりたら


何事もきちりきちりと


面白い様に出来て行くぞ。 

 

神の世とは


神の心のままの世ぞ、

 

今でも臣民 神ごころになりたら、

 

何でも思ふ通りになるぞ。

  

臣民 近慾(ちかよく)なから、

 

心曇りてゐるから分らんのぞ。 

 

今度の戦は神力と学力のとどめの戦ぞ。 

 

神力が九分九厘まで負けた様になったときに、

 

まことの神力出して、

 

ぐれんと引繰り返して、

 

神の世にして、

 

日本のてんし様が


世界まるめてしろしめす世と致して、

 

天地神々様にお目にかけるぞ。

 

てんし様の光が


世界の隅々まで行きわたる仕組が

 

三四五(みよいづ)の仕組ぞ、

 

岩戸開きぞ。

 

いくら学力強いと申しても


百日の雨降らすこと出来まいがな。

 

百日雨降ると何んなことになるか、

 

臣民には分るまい、

 

百日と申しても、


神から云へば瞬きの間ぞ。

 

七月の二十三日、ひつ九の 。

 

 


 

下つ巻 

 

第三十四帖 (七六)

 

 

 臣民は


すぐにも戦すみて


よき世が来る様に思うてゐるが、

 

なかなかさうはならんぞ、

 

臣民に神うつりて


せねばならんのざから、

 

まことの世の元からの臣民 


幾人もないぞ、

 

みな曇りてゐるから、

 

これでは悪の神ばかりかかりて、

 

だんだん悪の世になるばかりぞ、

 

それで戦すむと思うてゐるのか、

 

自分の心よく見てござれ、

 

よく分るであろがな、

 

戦すんでもすぐによき世とはならんぞ、

 

それからが大切ぞ、

 

胸突き八丁はそれからぞ、

 

富士に登るのにも、

 

雲の上からが苦しいであろがな、

 

戦は雲のかかってゐるところぞ、

 

頂上(いただき)までの


正味のところはそれからぞ。

 

一、二、三年が正念場ぞ。

 

三四五(みよいづ)の仕組と


申してあろがな。

 

八月の三日、ひつくのか三。

 

 


 

下つ巻 

 

第三十六帖 (七八)

 


 神をそちのけにしたら、

 

何も出来上がらんやうになりたぞ。

 

国盗りに来て


グレンと引繰り返りて居らうがな、

 

それでも気づかんか。

 

一にも神、

 

二にも神、

 

三にも神ぞ、

 

一にも天詞様、

 

二にも天詞様、

 

三にも天詞様ぞ。

 

この道つらいやうなれど


貫きて呉れよ、

 

だんだんとよくなりて、

 

こんな結構なお道かと


申すやうにしてあるのざから、

 

何もかもお国に献げて


自分の仕事を


五倍も十倍も精出して呉れよ。

 

戦位 何でもなく終るぞ。

 

今のやり方では


とことんに落ちて仕まうぞ、

 

神くどう気つけて置くぞ。

 

々の神さま、

 

臣民さま改心第一ぞ。

 

八月三日、ひつ九のか三。

 

 


 

富士の巻 

 

第一帖(八一)

 

 

道はいくらもあるなれど、

 

どの道通っても、

 

よいと申すのは、

 

悪のやり方ぞ、

 

元の道は一つぞ、

 

初めから元の世の道、

 

変らぬ道があれば、

 

よいと申してゐるが、

 

どんなことしても


我さへたてば


よいように申してゐるが、

 

それが悪の深き腹の一厘ぞ。

 

元の道は初めの道、

 

神のなれる道、

 

神のなかの


 、(テン)なる初め、

 

、(テン) は光の真中 


⦿(〇、)は四の道、

 

此の事、


気のつく臣民ないなれど。

 

「一が二」わかる奥の道、

 

身魂掃除すれば


此のことわかるのざ、

 

身魂磨き第一ぞ。


八月十日、 の一二 。

 

 


 

富士の巻 

 

第七帖 (八七)

 

 

悪の世であるから、

 

悪の臣民 世に出てござるぞ、

 

善の世に


グレンと引繰り返ると申すのは


善の臣民の世になることぞ。

 

今は悪が栄えてゐるのざが、

 

この世では人間の世界が


一番おくれてゐるのざぞ、

 

草木はそれぞれに


神のみことのまにまになってゐるぞ。

 

一本の大根でも一粒の米でも


何でも貴くなったであろが、

 

一筋の糸でも


光出て来たであろがな、

 

臣民が本当のつとめしたなら、

 

どんなに尊いか、

 

今の臣民には見当とれまいがな、

 

神が御礼申すほどに


尊い仕事出来る身魂ぞ、

 

殊に神の国の臣民みな、

 

まことの光あらはしたなら、

 

天地が輝いて


悪の身魂は


目あいて居れんことになるぞ。

 

結構な血筋に生まれてゐながら、

 

今の姿は何事ぞ、

 

神はいつまでも待てんから、

 

いつ気の毒出来るか知れんぞ。

 

戦恐れてゐるが臣民の戦位、

 

何が恐いのぞ、

 

それより己の心に巣くうてる


悪のみたまが恐いぞ。

 

八月十六日、 のひつくのか三。

 

 

伊勢神宮・外宮(筆者撮影)
伊勢神宮・外宮(筆者撮影)

 

地つ巻  

 

第六帖 (一四三)

 

 

神の国八つ裂きと


申してあることいよいよ近づいたぞ、

 

八つの国一つになりて


神の国に攻めて来るぞ。

 

目さめたらその日の生命(いのち)


おあづかりしたのざぞ、

 

神の肉体、

 

神の生命 大切せよ。

 

神の国は神の力でないと


治まったことないぞ、

 

神第一ぞ、

 

いつまで仏や基(キリスト)や


色々なものにこだはってゐるのぞ。

 

出雲の神様 


大切にありがたくお祀りせよ、

 

尊い神様ぞ。 

 

天つ神、

 

国つ神、

 

みなの神々様に御礼申せよ、

 

まつろひて下されよ、

 

結構な恐い世となりて釆たぞ、

 

上下ぐれんぞ。

 

九月十七日、一二の 。

 

 


 

海の巻 

 

第十三帖

 

 

 表に出て居る神々様に


和合して貰ふて


世の建替にかかりて下されよ、

 

苦労なしには何事も成就せんぞ、

 

苦を楽しめよ。

 

此の世を乱したのは神界から、

 

此の世乱した者が、

 

此の世を直さねばならんのざぞ、

 

この道理判るであろがな、

 

建直しの御用に使ふ身魂は


此の世乱した神々様であるぞよ。

 

秘密は秘密でないぞ、

 

火水であるぞ、

 

明らかな光であるぞ、

 

火水(ひみず)のマコトを


悪神にたぶらかされて


判らなくなったから、

 

秘密となったのであるぞ、

 

秘密は必ず現はれて来るぞ。

 

あと七つの集団(まどゐ)が出来るぞ、

 

一には のしるしつけよ、

 

この世一切のことを建替へるのぢゃ、

 

神の道も変へるぞ、

 

心のおき所も変へるぞ。

 

八月二十三日、一二 。

 

 


 

日の出の巻 

 

第一帖 (二一四)

 

 

 春とならば萌(もえ)出づるのざぞ、

 

草木許りでないぞ、

 

何もかも もえ出づるのぞ、

 

此の方の申す事 


譬(たとへ)でないと申してあろが、

 

少しは会得(わか)りたか。

 

石もの云ふ時来たぞ、

 

此の道 早く知らして呉れよ、

 

岩戸は五回閉められてゐるのざぞ、

 

那岐(なぎ)、


那美(なみ)の尊の時、

 

天照大神の時、

 

神武天皇の時、

 

仏来た時と、


大切なのは


須佐之男神様に罪着せし時、

 

その五度の岩戸閉めであるから

 

此の度の岩戸開きは


なかなかに大そうと申すのぞ。

 

愈々きびしく成ってきたが


此れからが正念場ざぞ、

 

否でも応でも裸にならなならんぞ、

 

裸程結構なもの無い事 


始めて会得(わか)りて来るぞ。

 

十二月一日、一二 。

 

 


 

地つ巻

 

 第十五帖 (一五二)

 

 

神の国のカミの役員に


判りかけたらバタバタに


埒(らち)つくなれど、

 

学や智恵が邪魔して


なかなかに判らんから、

 

くどう申しているのざぞ。

 

臣民物言はなくなるぞ、

 

この世の終り近づいた時ぞ。

 

石物言ふ時ぞ。

  

神の目には外国も


やまともないのざぞ。

 

みなが神の国ぞ。

 

七王(ななおう)も


八王(やおう)も作らせんぞ、

 

一つの王で治めさすぞ。

 

てん詞様が世界みそなはすのざぞ。

 

世界中の罪負ひておはします


素盞雄の大神様に気附かんか、

 

盲つんぼばかりと申してもあまりでないか。

 

九月の二十三日、ひつ九のか三。

 

     


 

日の出の巻 

 

第九帖 (二二二)

 

 

 人、神とまつはれば


喜悦(うれ)しうれしぞ、

 

まつはれば人でなく神となるのぞ、

 

それが真実(まこと)の神の世ぞ、

 

神は人にまつはるのざぞ、

 

、と 〇と申してあろが、

 

戦も、 と〇 と


壊し合ふのでは無いぞ、

 

、 と〇 とまつらふことぞ、

 

岩戸開く一つの鍵ざぞ、

 

和すことぞ、

 

神国真中に和すことぞ。

  

それには〇 掃除せなならんぞ、

 

それが今度の戦ぞ、

 

戦の大将が神祀らねばならんぞ。 

 

二四(にし)は剣(つるぎ)ざぞ。

 

神まつりは神主ばかりするのではないぞ、

 

剣と鏡とまつらなならんぞ、

 

まつはれば霊(たま)となるのざぞ。

 

霊なくなってゐると申して知らせてあろがな、

 

政治も教育も経済の大将も


神祀らねばならんのぞ。

  

天の天照皇大神様は更なり、

 

天の大神様、

 

地(くに)の天照大神様、

 

天照皇太神様、

 

月の神様、

 

特に篤く祀り呉れよ、

 

月の大神様 御出でまして


闇の夜は月の夜となるのざぞ。

 

素盞鳴の大神様も


篤く祀りて呉れよ、

 

此の神様には毎夜毎日


御詑びせなならんのざぞ、

 

此の世の罪穢(つみけがれ)負はれて

 

陰から守護されて御座る尊い御神様ぞ、

 

地の御神様、

 

土の神様ぞ、

 

祓ひ清めの御神様ぞ、

 

国々の産土の神様 祀り呉れよ、

 

遅くなればなる程


苦しくなるのざぞ、

 

人ばかりでないぞ。

 

十二月八日、ひつ九のか三。

 

 


 

磐戸の巻

 

 第10帖(246)

 

 

 悪の仕組は、

 

日本魂をネコソギ抜いて了ふて、

 

日本を外国同様にしておいて、

 

一呑みにする計画であるぞ。

 

日本の臣民、

 

悪の計画通りになりて、

 

尻の毛まで抜かれてゐても、

 

まだキづかんか、

 

上からやり方かへて貰はねば、

 

下ばかりでは何うにもならんぞ。

 

上に立ちてゐる人、

 

日に日に悪くなりてきてゐるぞ。

 

メグリある金でも物でも


持ちてゐたらよい様に思ふてゐるが、

 

えらい取違ひであるぞ。

 

早う神の申すことききて下されよ。

 

世界の何処さがしても、

 

今では九九(ここ)より他に、

 

神のマコトの道知らす所ないのざぞ。

 

此の道の役員、

 

上から見られん所によきことないと今度の御用、

 

なかなかにつとまらんぞ、

 

洗濯急げよ、

 

掃除急げよ、

 

家の中が治まらんのは


女にメグリあるからぞ、

 

このことよく気付けておくぞ、

 

村も国々も同様ぞ。

 

女のメグリはコワイのざぞ。

 

節分からは八回拍手うちて下されよ。

 

神はげしくなるぞ。 

 

一月十二日、 のひつ九の 。

 

     

伊勢神宮・外宮(筆者撮影)
伊勢神宮・外宮(筆者撮影)

 

磐戸の巻 

 

第15帖 (251)

 

 

 この方の道、

 

悪きと思ふなら、

 

出て御座れ、

 

よきかわるきか、

 

はっきりと得心ゆくまで見せてやるぞ。

 

何事も得心させねば、

 

根本からの掃除は出来んのざぞ、

 

役員 気つけて呉れよ。

 

皆和合して呉れよ。

 

わるき言葉、

 

息吹が此の方一番邪魔になるぞ、

 

苦労なしにはマコト判らんぞ、

 

慾はいらぬぞ、

 

慾出したら曇るぞ。

 

めくらになるぞ、

 

おわびすればゆるしてやるぞ、

 

天地に御無礼ない臣民一人もないのざぞ。

 

病治してやるぞ、

 

神息吹つくりてやれよ、

 

神いぶきとは一二三書いた紙、

 

神前に供へてから分けてやるもののことざぞ。

 

腹立つのは慢心からぞ、

 

守護神よくなれば肉体よくなるぞ、

 

善も悪も分からん世、

 

闇の世と申すぞ。 

 

天照皇太神宮様

 

(テンショウコウタイジングウサマ)

 

の岩戸開きは、

 

だました、

 

間違ひの岩戸開きぞ、

 

無理にあけた岩戸開きざから、

 

開いた神々様に大きなメグリあるのざぞ、

 

今度はメグリだけのことはせなならんぞ、

 

神にはわけへだて無いのざぞ、

 

今度の岩戸開きはちっとも間違ひない、

 

まぢりけのない、

 

マコトの神の息吹でひらくのざぞ。

 

まぢりありたら、

 

にごり少しでもありたら、

 

またやり直しせなならんから くどうきつけてゐるのざぞ。

 

何時迄もかわらんマコトでひらくのざぞ。

 

一月十四日、旧十一月三十日、 の一二 。

 

 


 

磐戸の巻 

 

第21帖 (257)

 

 

 元の大和魂にかへれと申すのは、

 

今の臣民には無理ぢゃな、

 

無理でも、

 

神に心向ければ出来るのざぞ、

 

どうしても今度は


元のキの儘の魂にかへらんとならんのぞ、

 

かんじんの神示


むやみに見せるではないぞ。

 

仕組こわれるぞ、

 

今に神示に書けないことも


知らさなならんから、

 

みみから知らすから、

 

肚から肚へと伝へて呉れよ。

 

節分からははげしくなりて、

 

はげしき神示はかかせんぞ。

 

天明 神示の御用はこれでしばらく御用すみぞ、

 

その代りみみ掃除しておいてくれよ。

 

旧十一月三十日、  の一二  。

 

 


 

水の巻 

 

第十四帖 (二八八)

 


 今迄は闇の世であったから、

 

どんな悪い事しても


闇に逃れる事出来てきたが

 

闇の世はもうすみたぞ。 

 

思ひ違ふ臣民 沢山あるぞ。

 

何んな集ひでも大将は皆思ひ違ふぞ。

 

早ふさっぱり心入れ換へて下されよ。

 

神の子でないと神の国には住めんことになるぞ。

 

幽界(がいこく)へ逃げて行かなならんぞ。

 

二度と帰れんぞ。

 

幽界(がいこく)行きとならぬ様、

 

根本から心入れかへて呉れよ。

 

日本の国の臣民 皆兵隊さんになった時、

 

一度にどっと大変が起るぞ。

 

皆思ひ違ふぞ。

 

カイの御用はキの御用ぞ。

 

それが済みたら、

 

まだまだ御用あるぞ。 

 

行けども行けども、

 

草ぼうぼう、

 

どこから何が飛び出すか、

 

秋の空グレンと変るぞ。

 

この方 化(ば)けに化けて残らずの身魂調べてあるから、

 

身魂の改心なかなかにむつかしいから、

 

今度と云ふ今度は、

 

天の規則通り、

 

びしびしとらちつけるぞ。

 

御三体の大神様

 

三日此の世をかまひなさらぬと

 

この世はクニャクニャとなるのざぞ。

 

結構近づいて居るのざぞ。

 

大層が近づいて居るのざぞ。

 

この神示読みて


神々様にも


守護神殿にも


聞かせて呉れよ。

 

いよいよあめの日津久の神様


おんかかりなされるぞ。

 

旧五月五日、みづのひつ九か三。

 

 


 

松の巻  

 

第六帖 (二九七)

 


 今の世に出てゐる守護神、

 

悪神を天の神と思ってゐるから 


なかなか改心むつかしいぞ。

 

今迄の心すくりとすてて


生れ赤子となりて下されと申してあろが。

 

早よ改心せねば間に合はん、

 

残念が出来るぞ。

 

この神示わからんうちから、

 

わかりておらんと、

 

分りてから、

 

分りたのでは、

 

人並ざぞ。

 

地の規則 天の規則となる事も


あるのざぞよ。

 

六月二十二日、アメのひつ九のかみふで。

 

 


 

松の巻  

 

第十八帖 (三〇九)

 


 人民同士の戦では


かなはんと云ふ事


よく判りたであろがな。

 

神と臣民融け合った大和魂でないと勝てんことぞ。

 

悪神よ。

 

日本の国を此処までよくも穢したな、

 

これで不足はあるまいから、

 

いよいよ此の方の仕組通りの、

 

とどめにかかるから、

 

精一杯の御力でかかりて御座れ。

 

学問と神力の、

 

とどめの戦ざぞ。

 

七月三日、あめのひつ九のかみ。

 

 

伊勢神宮・外宮(筆者撮影)
伊勢神宮・外宮(筆者撮影)

 

風の巻 

 

第十三帖 (三六四)

 


 楽してよい御用しようと思ふてゐるのは

 

悪の守護神に使はれてゐるのざぞ。

 

人の殺し合ひで


此の世の建替出来ると思ふてゐるのも

 

悪の守護神ざ。

 

肉体いくら滅ぼしても、

 

よき世にならんぞ。

 

魂は鉄砲では殺せんのざぞ。

 

魂はほかの肉体にうつりて、

 

目的たてるのざぞ、

 

いくら外国人殺しても、

 

日本人殺しても、

 

よき世は来ないぞ。

  

今迄のやり方、

 

スクリかへて神の申す様にするよりほかに道ないのざ。

 

このたびの岩戸開きは、

 

なかなかぞと申してあろが、

 

見て御座れ、

 

善一筋の、

 

与へる政治で見事建替へてみせるぞ。

 

和合せんとまことのおかげやらんぞ、

 

一家揃ふたらどんなおかげでもやるぞ。

 

一国そろたらどんな神徳でもやる

 

おのづから頂けるのざぞ。

 

神いらん世にいたして呉れよ。


二月の十六日、ひつくか三。

 

 


 

碧玉の巻

 

第十帖

 


 岩戸しめの始めは


ナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、

 

ナミの神が火の神を生んで


黄泉国に入られたのが、

 

そもそもであるぞ、

 

十の卵を八つ生んで


二つ残して行かれたのであるぞ、

 

十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、

 

五つの卵を四つ生んだとも言へるのであるぞ、

 

総て神界のこと、

 

霊界のことは、

 

現界から見れば妙なことであるなれど、

 

それでちゃんと道にはまってゐるのであるぞ。

 

一ヒネリしてあるのぢゃ、

 

天と地との間に大きレンズがあると思へば段々に判りてくるぞ。

 

夫神、

 

妻神、

 

別れ別れになったから、

 

一方的となったから、

 

岩戸がしめられたのである道理、

 

判るであろうがな。

 

その後、

 

独り神となられた夫神が三神をはじめ、

 

色々なものをお生みになったのであるが、

 

それが一方的であることは申す迄もないことであろう、

 

妻神も同様、

 

黄泉大神となられて、

 

黄泉国の総てを生み育て給ふたのであるぞ、

 

この夫婦神が、

 

時めぐり来て、

 

千引の岩戸をひらかれて


相抱き給う時節来たのであるぞ、

 

うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。

 

同じ名の神が到るところに現はれて来るのざぞ、

 

名は同じでも、

 

はたらきは逆なのであるぞ、

 

この二つがそろうて、

 

三つとなるのぞ、

 

三が道ぞと知らせてあろうがな。

 

時来たりなば


 この千引の岩戸を倶にひらかんと


申してあろうがな。

 

次の岩戸しめは


天照大神の時ぞ、

 

大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、

 

ダマシタ岩戸からは


ダマシタ神がお出ましぞと


知らせてあろう。

 

いよいよとなって


マコトの天照大神、

 

天照皇大神、

 

日の大神、

 

揃ふてお出まし近うなって来たぞ。

 

次の岩戸しめは


素盞鳴命に総ての罪をきせて

 

ネの国に追ひやった時であるぞ、

 

素盞鳴命は


天下(あめがした)を治しめす御役(おんやく)の神であるぞ。

 

天ヶ下(あめがした)は


重きもののつもりて固まりたものであるから

 

ツミと見へるのであって、

 

よろづの天の神々が積もる(と言ふ)ツミ(積)をよく理解せずして

 

罪神と誤って了ったので、

 

これが正しく岩戸しめであったぞ、

 

命(みこと)をアラブル神なりと申して伝へてゐるなれど、

 

アラブル神とは粗暴な神ではないぞ、

 

あばれ廻り、

 

こわし廻る神ではないぞ、

 

アラフル(現生る)神であるぞ、

 

天ヶ下、

 

大国土を守り育て給う神であるぞ、

 

取違ひしてゐて申しわけあるまいがな。

 

このことよく理解出来ねば、

 

今度の大峠は越せんぞ。

 

絶対の御力を発揮し給ふ、

 

ナギ、ナミ両神が、

 

天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。

 

素盞鳴の命にも二通りあるぞ、

 

一神で生み給へる御神と、

 

夫婦呼吸を合せて生み給へる御神と二通りあるぞ、

 

間違へてはならんことぞ。

 

神武天皇の岩戸しめは、

 

御自ら人皇を名乗り給ふより他に道なき迄の御働きをなされたからであるぞ。

 

神の世から人の世への移り変りの事柄を、

 

一応、

 

岩戸にかくして


神ヤマトイハレ彦命として、

 

人皇として立たれたのであるから、

 

大きな岩戸しめの一つであるぞ。

 

仏教の渡来までは、

 

わずかながらも


マコトの神道の光がさしてゐたのであるなれど、

 

仏教と共に仏魔わたり来て


完全に岩戸がしめられて、

 

クラヤミの世となったのであるぞ、

 

その後はもう乱れほうだい、

 

やりほうだいの世となったのであるぞ、

 

これが五度目の大き岩戸しめであるぞ。

 

 


 

光の巻 

 

第六帖 (四〇二)

 


 今に世界の臣民人民 誰にも判らん様になりて

 

上げもおろしもならんことになりて来て、

 

これは人民の頭や力でやってゐるのでないのざ

 

といふことハッキリして来るのざぞ。

 

何処の国、

 

どんな人民も成程ナアと得心のゆくまで

 

ゆすぶるのであるぞ。

 

 

今度は根本の天の御先祖様の御霊統と

 

根元のお地(つち)の御先祖様の御霊統とが

 

一つになりなされて、

 

スメラ神国とユツタ(ユダヤ)神国と

 

一つになりなされて末代動かん光の世と、

 

影ない光の世と致すのぢゃ、

 

今の臣民には見当とれん光の世とするのぢゃ、

 

光りて輝く御代ぞ楽しけれく。

 

悪い者殺してしまふて よい者ばかりにすれば、

 

よき世が来るとでも思ふてゐるのか、

 

肉体いくら殺しても魂迄は、

 

人民の力では何うにもならんであろがな。

 

元の霊(たま)まで改心させねば、

 

今度の岩戸開けんのぢゃぞ、

 

元の霊(たま)に改心させず肉体ばかりで、

 

目に見える世界ばかり、

 

理屈でよくしようとて出来はせんぞ、

 

それ位 判って居らうが、

 

判りて居り乍ら他に道ないと、

 

仕方ないと手つけずにゐるが、

 

悪に魅入られてゐるのぢゃぞ、

 

悪は改心早いぞ、

 

悪神も助けなならんぞ、

 

霊(たま)から改心させなならんぞ、

 

善も悪も一つぢゃ、

 

霊も身も一つぢゃ、

 

天地(アメツチ)ぢゃとくどう知らしてあろが。

 

何んなよいこと喜ばして知らしても、

 

聞かせても、

 

今の臣民人民 

 

中々云ふこときかんものぢゃぞ。

  

この道にゆかりある者だけで

 

型出せよ、

 

カタでよいのぢゃぞ。

 

六月三十日、ひつぐの神。

 

 


 

梅の巻

 

第十三帖



 天(あめ)の岩戸ばかりでないぞ、

 

地(くに)の岩戸 


臣民の手で開かなならんぞ、

 

誠一つで開くのぢゃ、

 

誠のタチカラオの神、

 

誠のウズメの命殿、

 

御用結構ぞ。

 

ダマシタ岩戸開きでは


ダマシタ神様お出ましざぞ、

 

この道理判らんか、

 

取違ひ禁物ぞ、

 

生れ赤子の心になれば分るのぢゃぞ。

 

今の臣民お日様明るいと思ふてゐるが、

 

お日様、

 

マコトの代のマコトのお日様


どんなに明るいか見当とれまいがな。

  

見て御座れ、

 

見事な世と致してお目にかけるぞ、

 

神示読みて聞かせてやれよ、

 

嫌な顔する人民 後廻しぢゃ、

 

飛び付く人民 縁あるのぢゃ、

 

早う読み聞かす神示より分けておいて下されよ、

 

間に合はんぞ、

 

御無礼ない様に致し下されよ。

 

十一月十七日、一二の神

 

 


 

青葉の巻

 

第十三帖

 

 

 同じ名の神二つあると申してあろ、

 

同じ悪にも亦二つあるのぢゃ、

 

この事 神界の火水ぞ、

 

この事判ると仕組段々とけて来るのざぞ、

 

鍵ざぞ。七人に伝へよ、

 

と申してあろ、

 

始めの七人大切ざぞ、

 

今度はしくじられんのざぞ、

 

神の仕組 間違ひないなれど、

 

人民しくじると、

 

しくじった人民 可哀想なから、

 

くどう申しつけてあるのざぞ、

 

よう分けて聞きとりて


折角のエニシと時を外すでないぞ、

 

世界中の事ざから、

 

いくらでも代へ身魂、

 

代りの集団(まどひ)つくりてあるのざぞ。

  

尊い身魂と、

 

尊い血統、

 

忘れるでないぞ。

 

型は気の毒ながらこの中から。

 

八月四日、一二 。

 

 


 

青葉の巻 

 

第十五帖

 

 

 世の建替と申すのは、

 

身魂の建替へざから


取違ひせん様致されよ、

 

ミタマとは身と霊(たま)であるぞ、

 

今の学ある人民 


ミばかりで建替へするつもりでゐるから、

 

タマが判らんから、

 

いくらあせっても汗流しても


建替へ出来んのざぞ。

 

天地(あめつち)の秋(とき)来てゐることは


大方の人民には分って居りて、

 

さあ建替へぢゃと申しても、

 

肝腎のタマが分らんから


成就せんのざぞ、

 

神示読んでタマ早う掃除せよ、

 

世界から見るから日本が日本ぞ、

 

も一つ上の世界から見れば世界は日本ぞ、

 

神国ざぞ、

 

今迄は大地の先祖の大神様の血統を落して了ふて

 

途中からの代りの神でありたから、

 

まぜこぜしたから


世が乱れに乱れて了ふたのぢゃぞ、

 

知らしてあらうがな、

 

よくなっとくしてくれよ、

 

人民 皆その通りになってゐるのぢゃ。

 

八月四日、一二 。

 

 

伊勢神宮・外宮(筆者撮影)
伊勢神宮・外宮(筆者撮影)

 

海の巻

 

第十一帖

 

 

 だました岩戸からは


だました神が出て、

 

ウソの世となったのぢゃ、

 

この道理判るであろう、

 

ニセ神やら、

 

だました神やら、

 

次々に五度の岩戸閉めと申してあろが、

 

タンバはタニハ、

 

田庭とは日の本の国ぞ、

 

世界の事ぞ、

 

タンバとはタンバイチとは


世界の中心と云ふ事ぞ、

 

日の本と云ふ事ぞ、

 

キミの国ざぞ、

 

扶桑の国ざぞ、

 

地場ざぞ、

 

判りたか。

 

地場を固めなならんぞ、

 

五十鈴の川はムツの川、

 

和合の川ぞ。

 

社殿(やしろ)は八方に開く時来たら

 

八尋殿(やひろどの)建てて下されよ、

 

マコトの八尋殿。

  

何も判らん無茶苦茶者が、

 

偉ら相な名の神がかりして、

 

何も知らん人民をたぶらかしてゐるが、

 

今に尻尾を出して来るぞ、

 

尻尾つかまらん内に改心して


神の道に従って来いよ。

 

八月二十三日、一二 。

 

 


 

黄金の巻

 

第二帖

 


 日本が日本がと、

 

まだ小さい島国日本に捉はれてゐるぞ。

 

世界の日本と口で申してゐるが、

 

生きかへるもの八分ぞ。

 

八分の中の八分は又生きかへるぞ。

 

生きかへっても日本に捉はれるぞ。

 

おはりの仕組はみのおはり。 

 

骨なし日本を、

 

まだ日本と思うて目さめん。

 

九十九十(コトコト)と申してカラスになってゐるぞ。

 

古いことばかり守ってゐるぞ。

 

古いことが新しいことと思うてゐるなれど、

 

新しいことが古いのであるぞ。

 

取違ひいたすなよ。

 

【神は生命ぞ】。

 

秩序ぞ。

 

秩序は法則ぞ。

 

為せよ。

 

行ぜよ。

 

考えよ。

 

考へたらよいのぢゃ。

 

為すには先づ求めよ。

 

神を求めよ。

 

己に求めよ。

 

求めて、

 

理解した後 


為せ。

 

為して顧みよ。

 

神のいのち其処に弥栄えるぞ。

 

今迄の日本の宗教は


日本だけの宗教、

 

このたびは世界のもとの、

 

三千世界の大道ぞ。

 

教でないぞ。

 

八分の二分はマコトの日本人ぢゃ。

 

日本人とは世界の民のことぢゃ。

 

一度日本すてよ。

 

日本がつかめるぞ。

 

日本つかむことは


三千世界をつかむことぞ。

 

悪の大将も、

 

そのことよく知ってゐて、

 

天地デングリ返るのぢゃ。

 

物の食べ方に気つけよ。

 

皆の者、

 

物ばかり食べて御座るぞ。

 

二分の人民、

 

結構に生きて下されよ。

 

喜び神ぞ。

 

十一月十七日。ひつ九のか三

 

 


 

黒鉄の巻

 

第二十四帖



 悪とはカゲのことであるぞ。

 

斜めに光を頂くから影出来るのぢゃ。

 

影は主人でないぞ。

 

絶対は何と申しても絶対ぞ。

 

相対から神を求めると、

 

相対の神が顕はれるぞ。

 

相対で神の道に導くこと中々ぢゃ。

 

必ず後戻り、

 

判りはせんぞ。

 

この神示、

 

肚に入ったらグレンと変りて来るぞ。

 

早う肚に入れて下されよ。

 

間に合はん。

 

天の声は内から聞こえて来る。

 

人間の言葉は外から聞こえて来る。

 

霊耳と申すのは内からぞ。

 

耳ふさいでも聞こえて来るのぢゃ。

 

悪霊自身は自身を悪と思うてないぞ。

 

(一月二十二日)

 

 


 

碧玉の巻

 

第一帖

 

 

  反対の世界と合流する時、

 

平面の上でやろうとすれば


濁るばかりぢゃ、

 

合流するには、

 

立体でやらねばならん、

 

立体となれば反対が反対でなくなるぞ、

 

立体から複立体に、

 

複々立体に、

 

立立体にと申してあろう、

 

漸次(ぜんじ)輪を


大きく、

 

広く、


深く進めて行かねばならんぞ、

 

それが岩戸ひらきぢゃ、

 

低い世界は戒律なくてはならんぞ、

 

人民の頭で、

 

戒律と秩序、

 

法則をゴッチャにして御座るぞ、

 

平面と立体とをゴッチャにするのと同じ迷ひの道であるぞ、

 

気つけ下されよ。

 

病むことは神から白紙の巻物をもらったことぢゃ、

 

この巻物をどんなに読みとるかによって新しき道がひらけるのぢゃ。

 

神からの巻物おろそかにするでないぞ。

 

 


 

碧玉の巻

 

第二帖

 


 気の合う者のみで和して御座るなれど、

 

それでは和にならんと知らしてあろうがな、

 

今度は合わんものと合せるのぢゃ、

 

岩戸がひらけたから、

 

さかさまのものが出て来てゐるのぢゃ、

 

この行(ぎょう)、

 

中々であるなれど、

 

これが出来ねば岩戸はひらけんのぢゃ、

 

マコトの神さえ魔神のワナにかかって御座るのぢゃ、

 

人民がだまされるのも


無理ないようなれど、

 

だまされてゐては


今度の御用は成就せんぞ。

 

自分自身にだまされてゐる人民も多いのであるが、

 

ついて御座れよ、

 

少しは苦しき行もあるなれど


見事なことを致して御目にかけるぞ、

 

自分でもビックリぢゃ、

 

はじめからの神示よく読んで下されよ、

 

霊かかりよろしくないぞ、

 

やめて下されと申してあろう。

 

 



 

碧玉の巻

 

第十五帖

 


 五六七のミロクの代から六六六のミロクの世となるぞ。

 

六六六がマコトのミロクの世であるなれど、

 

六六六では動きないぞ、

 

六六六は天地人の大和の姿であるなれど、

 

動きがないからそのままでは弥栄せんのぢゃ、

 

666となり又六六六とならねばならんぞ、

 

新しき世の姿、

 

 

よく心得よ。

 

 


 

極みの巻

 

第二十帖

 

 

  今の学者には今の学しか判らん、

 

それでは今度の岩戸ひらきの役にはたたん、

 

三千世界の岩戸ひらきであるから、

 

少しでもフトマニに違ってはならんぞ。

 

廻りくどいようなれど【とつぎ】の道から改めなされよ、

 

出舟の港は夫婦からぢゃと申してあろう、

 

ミトノマグハヒでなければ正しき秩序は生れんぞ、

 

素盞鳴命が、

 

荒ぶる神、

 

悪神ではなく、

 

人民の罪を背負って下さる


救ひ主の大神であることが判らねば、

 

岩戸はひらけんぞ。

 

新しき世界の宮は土地(神智)(十千)であるぞ、

 

住所(数真意)(すまい)であるぞ、

 

永遠に在(おわ)す神は


住む(澄む、数務)土地(十千)であるぞ、

 

下には永遠の腕(宇丁)(うで)があるぞ。

 

 

伊勢神宮・外宮(筆者撮影)
伊勢神宮・外宮(筆者撮影)

 

至恩の巻

 

第八帖

 


 ナギ、ナミ夫婦神は


八分通り国土を生み育てられたが、

 

火の神を生み給ひて


ナミの神は去りましたのであるぞ。

 

物質偏重の世は


やがて去るべき宿命にあるぞ、

 

心得なされよ。

 

ナミの神はやがて


九と十の世界に住みつかれたのであるぞ。

 

妻神に去られたナギの神は


一人でモノを生むことの無理であることを知り給ひ、

 

妻神を訪れ給ひ、

 

相談されたのであるなれど、

 

話が途中からコヂレて


遂に別々に住み給ふ事となり、

 

コトドを見立てられて


千引の岩戸をしめ、

 

両神の交流、

 

歓喜、

 

弥栄(いやさか)は中絶したのであるぞ。

 

 

 


 

至恩の巻

 

第九帖

 


 千引岩をとざすに際して、

 

ナミの神は


夫神の治(し)らす国の人民を


日に千人喰ひ殺すと申され、

 

ナギの神は


日に千五百の産屋(うぶや)を


建てると申されたのであるぞ。

 

これが日本の国の、

 

又地上の別名であるぞ、

 

数をよく極めて下されば判ることぞ、

 

天は二一六、

 

地は一四四と申してあろうが、

 

その後ナギの神は


御一人で神々をはじめ、

 

いろいろなものを生み給ふたのであるぞ、

 

マリヤ様が一人で生みなされたのと同じ道理、

 

この道理をよくわきまへなされよ。

 

此処に大きな神秘がかくされている、

 

一神で生む限度は七乃至八である、

 

その上に生まれおかれる神々は


皆七乃至八であるが、

 

本来は十万十全まで拡がるべきものである。

 

或る時期迄は八方と九、

 

十の二方に分れてそれぞれに


生長し弥栄し行くのであるぞ。

 

 

 


 

至恩の巻

 

第十帖

 


 国常立神も

 

素盞鳴命も

 

大国主命も、

 

総て地(智)にゆかりのある神々は皆、

 

九(光)と十(透)の世界に居られて

 

時の来るのをおまちになってゐたのであるぞ、

 

地は智の神が治(し)らすのぞ

 

と知らしてあろうが、

 

天運 正にめぐり来て、

 

千(智)引の岩戸(言答)はひらかれて、

 

これら地(智)にゆかりのある

 

大神達が現れなされたのであるぞ、

 

これが岩戸ひらきの真相であり、

 

誠を知る鍵であるぞ。

 

 

 


 

至恩の巻

 

第十四帖

 


 八方的地上から十方的地上となるのであるから、

 

総ての位置が転ずるのであるから、

 

物質も念も総てが変るのであるぞ。

 

これが元の元の元の大神の御神策ぞ、

 

今迄は時が来なかったから

 

知らすことが出来んことでありたなれど、

 

いよいよが来たので皆に知らすのであるぞ。

 

百年も前からそら洗濯ぢゃ、

 

掃除ぢゃと申してありたが、

 

今日の為であるぞ、

 

岩戸ひらきの為であるぞ。

 

今迄の岩戸ひらきと同様でない、

 

末代に一度の大岩戸(言答)ひらきぢゃ。

 

 

 


 

至恩の巻

 

第十六帖

 


太陽は十の星を従へるぞ、

 

原子も同様であるぞ。

 

物質が変るのであるぞ、

 

人民の学問や智では判らん事であるから

 

早う改心第一ぞ、

 

二二と申すのは

 

天照大神殿の十種(とくさ)の神宝に

 

、 (テン)を入れることであるぞ、

 

これが一厘の仕組。

 

二二となるであろう、

 

これが富士の仕組、

 

七から八から鳴り鳴りて十となる仕組、

 

なりなりあまるナルトの仕組。

 

富士(不二)と

 

鳴門(ナルト)(成答)の

 

仕組いよいよぞ、

 

これが判りたならば、

 

どんな人民も腰をぬかすぞ。

 

一方的に一神でものを生むこと出来るのであるが、

 

それでは終りは完う出来ん、

 

九分九厘で【リンドマリ】ぞ、

 

神道も仏教もキリスト教もそうであろうがな、

 

卍(ぶつ)も十(キリスト)も

 

すっかり助けると申してあろうがな、

 

助かるには助かるだけの用意が必要ぞ。

 

用意はよいか。

 

このこと大切ごと、

 

気つけおくぞ。

 

なりなりなりて

 

十とひらき、

 

二十二となるぞ、

 

富士(普字)晴れるぞ、

 

大真理世に出るぞ、

 

 

新しき太陽が生れるのであるぞ。

 

 


 

五葉の巻

 

第十五帖

 


 今に大き呼吸(いき)も出来んことになると

 

知らせてあろうが、

 

その時来たぞ、 

 

岩戸がひらけると言ふことは

 

【半分のところは天界となることぢゃ、

 

天界の半分は地となることぢゃ】、

 

今の肉体、

 

今の想念、

 

今の宗教、

 

今の科学のままでは岩戸はひらけんぞ、

 

今の肉体のままでは、

 

人民生きては行けんぞ、

 

一度は仮死の状態にして魂も肉体も、

 

半分のところは入れかえて、

 

ミロクの世の人民としてよみがへらす仕組、

 

心得なされよ、

 

神様でさへ、

 

この事判らん御方あるぞ、

 

大地も転位、

 

天も転位するぞ。